エビデンスを焼き捨てた日

医学部在学も4年が経つ今、当初は馴染みのなかった「エビデンス」という概念はすっかり体に染み付いた。

 

エビデンスこそ正義であり、エビデンスに基づかない発言や行動は控えるべきである。

 

そう、私は4年間をかけて訓練されたエビデンス人間、エビデンスの権化。

 

持病のアトピー性皮膚炎に保湿は1日3回が良いというエビデンスを知ってから、真面目に保湿を始めた。

 

コーヒーを飲みすぎても健康に悪くないというエビデンスを知ってから、気兼ねなくコーヒーを飲むようになった。

 

「適量のアルコールが健康に良い」というのは嘘であるというエビデンスが発表されてからは酒をやめた。

 

上記のようにエビデンスを知ったら、その通りに行動することにしている。

 

というよりもむしろ、日々どう行動するべきか積極的にエビデンスを調べに行っている。

 

風邪を引いたらどうするのが最適なのか

 

牛肉は健康に悪いのか

 

一日どのくらい睡眠を取るべきなのか

 

エビデンスを知れば知るほど、私の日々はスタイリッシュなものになっていく。

 

食事・運動・睡眠は大量の論文蓄積による「エビデンス武装」によって最強のものになっていく。

 

目指すものは一切無駄のない生活・行動・発言であり、それに対して飽くなき努力が注がれるべきである。

 

もっとエビデンスを知りたい、もっと日々を最適化したい。

 

*****

 

今、私は画面に向かって文章を書いている。

 

そこで、文章を書くことによる脳への好影響に関するエビデンスが欲しい。

 

次に文章を書く時の指の運動

 

果たしてこれは意味があるものなのだろうか、エビデンスはあるのだろうか。

 

打ち込んだ文章をディスプレイで確認するという行為

 

本当に確認するべきなのだろうか、確認すべきエビデンスはどこにあるのだろうか。

 

今「エビデンス」の「エ」を打とうと思ったのだが、この「エ」という文字を打ったほうが良いエビデンスはどこにあるのだろうか。

 

さらに言えば、「『エ』を打とうと思うこと」にどのくらいの合理性があるのだろうか、知りたい、エビデンスがあるのかを猛烈に知りたい…

 

もともとこんな文章を書く意味などあるのだろうか。エビデンスはあるのか……

 

そもそも考える過程で脳の神経細胞の興奮が起こっているが、神経細胞を興奮させるべきエビデンスはあるのだろうか………

 

段々とエビデンスを確認したい対象が増えてきた。あらゆる神経細胞の興奮やそれに続く筋細胞の興奮、視覚・聴覚細胞からの入力信号、そのすべての処理にエビデンスを確認せざるを得なくなってきた…………

 

すべてに時間がかかる、指を一本動かすにも、まばたきするにも、一挙一動、あらゆる行動にいちいち時間がかかるようになっていく。

 

段々と世界がスローになっていくのを感じた。

 

指がキーボードを一回叩くのにも、百、千本を超える論文の裏付けが必要。

 

現実世界での1秒が、1分にも1時間にも10時間にも感じられるようになった。

 

思考のプロセスも急速に遅くなっていく。視界も断片的に解釈するようになり、音も切れ切れ聞こえるようになった。

 

それでもさらに思考は遅くなっていき、段々となにも考えられなくなってきた。

 

現実世界での1秒は1日にも10日にも感じられるようになり、無限大に発散していくと同時に私は意識を失っていった。

 

*****

 

しばらく時間が立った頃だろうか、遠のいていく意識とは逆に、1つの新しい意識が芽生えるのを感じた。

 

その意識は次第にはっきりとしていく。夢である。いつもみるのに比べて遥かに鮮明な夢であった。

 

先程まで何をしていたのか全く思い出せないが、私は家の周囲を散歩しているようである。

 

体の動きはすこぶる良い。何よりこの夢の世界は大変良くできているのである。

 

例えば右足を出そうと思えば、「右足を出すべきことを推奨するエビデンス」が目の前に出現する。左足も同様である。

 

しかも論文鬼のようなスピードで読めることにも気がついた。

 

おそらく現実世界よりも「時間が伸びている」からであろう。

 

論文一本を読み切るのに1ミリ秒もかからない。

 

現実世界の1秒が3年ほどに引き伸ばされていることが想像された。

 

こうしている間にも様々なことを考えているのだが、「物事を考えるべきエビデンス」「神経細胞を興奮させるべきエビデンス」の類もこの世界では全く不自由ない。

 

なんて快適なんだ。何年でも何十年でもこの世界に住んでやる。

 

そして私はその世界でも医師を志し、猛勉強のすえ医学部合格を勝ち取った。

 

入学から4年ほど立った頃であろうか、やはりその夢世界の「エビデンス」という考え方が板についてきたように思えた。

 

思えば今までエビデンスだと思っていたことは、実は行動の根拠とするのに不十分かもしれない、そんな疑いを持てるまでには成長したのである。

 

成長したのは良かったが、あらゆる行動に先立って目の前に出現する論文の多くは意外にも質が悪いようである。

 

なぜならその殆どが1例報告や症例対象研究であり、ランダム化比較研究は殆ど含まれていなかったからである。

 

そこで目の前に現れた論文が気に入らなかった場合、より質の高い研究を探す努力をした。

 

しかしいかんせん論文検索には時間がかかる。

 

しかもランダム化比較研究などの大規模な高品質な論文は見つからないことも多いのである。

 

ふと後ろに白髪の老人が佇んでいることに気がついた。

 

「エビデンス漁りもいい加減に諦めたらどうだ」

 

何を甘えたことを言っているのだ、と私は思った。その老人が少し未来の自分だとは知らずに…

 

しかし一つひとつの行動がぎこちなくなっていくのを感じる。でも私はどうしてもランダム化比較研究が欲しい。質の高いエビデンスが猛烈に欲しい……

 

次第に世界の流れが遅く感じるようになっていった

 

物事を考える速度が急激に遅くなっていき、1秒は1年にも10年にも感じられる………

 

目も見えなくなり、音はほとんど聞こえない。

 

だんだんと意識は遠のいていった…………

 

*****

 

遠のく意識とは逆に、新たな意識が芽生えた。

 

夢の中で夢を見ているらしい。私は「第二階層の夢」に落ちたようだ。

 

今まで何をしていたのかよく覚えていないが、どうやら私は受験勉強をしているようである。

 

目の前には医学部専用の数学問題集がある。どうやらこの世界でも医学部を目指しているらしい。

 

ふとカレンダーをみると2/24。明日から国立医学部の2次試験である。

 

体調はすこぶる良い。何をするのにも動作は軽快だ。

 

なぜならあらゆる行動の直前に出現する論文の質が格段に高いからだ。

 

1例報告や症例対象研究はすべて排除され、ほとんどランダム化比較研究である。

 

この世界はあらゆることに対してランダム化比較研究が行われているようだ。

 

そもそもランダム化比較研究自体が一秒間に10回ほど行われているらしい。

 

「第一階層の夢」よりもさらに時が引き伸ばされているということだ。

 

快適すぎる。この世界に何百年でも住んでやる、と思った。

 

翌日の受験は絶好調、面接も問題なく終わらせ、晴れて医学部入学資格を勝ち取った。

 

入学から4年ほどたったであろうか、「エビデンス」という言葉に対する意識も新たになってきたころに、ランダム化比較研究では不十分であることに気がついた。

 

私に必要なのは、さらにエビデンスレベルの高い「システマティック・レビュー」

 

しかしこの世の中にはまだ「システマティック・レビュー」が少ないようである。

 

そのため検索には時間がかかる。

 

ふと後ろを振り向くと、白髪の老人が「世の中システマティック・レビューばかりじゃないよ」と言っていたが、甘えていると思って無視した。

 

動きはぎこちなくなり、時の流れがゆっくりしてきた。

 

あらゆる行動に「システマティック・レビュー」を求めた結果、思考・動作が緩慢になっていく。

 

目も耳もダメになり、意識が遠のいて行くのを感じた……

 

*****

 

遠のく意識とは逆に、新しい意識が芽生えた。

 

「第三階層の夢」まで落ちてしまったようだ。

 

今までのことはよく覚えていないが、あたりは豪雪、銀世界。

 

2月である。

 

すべての論文は「システマティック・レビュー」である。しかもその殆どが「メタアナリシス」により計量的に評価されている。

 

間違いなく「この世で最高品質とされる論文形式」のみの世界であった。

 

当然そこでの生活は大変快適であり、一生住もうと思った。

 

「第三階層」では、私は医学はつまらないと思い、哲学科を専攻することにした。

 

哲学科在学4年が経ち、そろそろ卒論を書かなければならない。

 

テーマは決まっていた。

 

「医学論文の妥当性について」

 

前々から疑問に思っていたことを卒論にしようとしたのである。

 

例えば医学論文でアウトカムに設定される様々な「QOL」の指標は、本当に「真のQOL」を反映しているのだろうか。

 

その他にも医学論文で多用される様々な指標に疑問を持っていたのである。

 

結果はもう分かっていた。殆どの医学論文に使われる指標には限界があった。

 

「QOL」を例に取れば、「真のQOL」を反映している指標などなかったのである。

 

これではいくらメタアナリシスで結果が出ていたとしても、その論文が妥当とは言えないではないか…….

 

そう考えると、私の生活に関わるあらゆるものが根底から揺らいでくる………

 

そもそも肉体が存在する意味はあるのだろうか?

 

疑問を発した瞬間に目の前には数々のメタアナリシスが提示された。

 

しかし1つとして私の疑問に答えられる論文はなかった。

 

急に強いめまいに襲われ、私はバタンと倒れてしまった。

 

意識が遠のいていくのを感じた…………

 

*****

 

遠のく意識とは逆に新たな意識が芽生えたが、肉体はなかった。

 

「第四階層の夢」は純粋な意識の世界、思索だけの世界。

 

この世界の論文は大分マシになっている。

 

なぜならば医学論文はすべて医学の専門家と哲学の専門家の合作になっており、すべての指標に哲学的吟味が加えられているからである。

 

しかしそれでも完全に満足行くものはなかった。

 

肉体もなく、ほぼ永遠の世界の中で私は多くのことを考えに考え抜いた。

 

結論はでない。どうしても結論がでない。

 

結論がでないと行動できない。私はエビデンス人間だからだ。

 

より質の高いエビデンスを追求して「第四階層」までやってきたのだ。

 

私はどのように生き、どのように死ぬべきなのか。エビデンスはあるのか。

 

飽くなき探究心は衰えるどころかむしろ勢いを増していく。

 

この意識だけの世界にいながらも、段々と時の流れが遅くなっていく。

 

しかしこれではまずいことは薄々気がついていた。

 

これ以上「下の階層」に落ちれば、そこには「虚無」があるのみ。

 

すでに失った肉体に加え、精神も失ってしまうことは明らかであった。

 

薄れ行く意識の中、どうにかしなければならない。

 

するとどこからともなく老人の声が聞こえてきた。

 

「ここまで来るのと真逆のことをしなさい」

 

なるほど、真逆のことをすればよいのか。

 

真逆のこととはつまり「エビデンスを捨てる」こと以外に考えられない。

 

そこで私は意識だけの世界で論文の山に火をつけた。

 

燃える、論文が燃える。

 

ガゴンッ!

 

と大きな音がした。

 

ハッ、っと目が覚めるとそこは「第三階層の夢」の世界。

 

構わず論文を燃やす。論文は大きな炎をまくしたてて、メラメラと燃えていった。

 

パーティーだ! 酒だ! 次郎だ!

 

燃えるエビデンス!

 

回るアルコール!

 

ヤサイマシマシニンニクアブラオオメ!

 

ガゴンッ! ガゴンッ!

 

再び大きな音がする。どんどんと階層が上がっていく。

 

あの白髪老人も微笑みをかけてくれる。

 

粉々になったエビデンスの灰!

 

次々と増えていく酒の空き瓶!

 

グイグイとラーメンの汁を飲む!

 

ガゴンッッ!!!!

 

最後にひときわ大きな音がして、ついに夢から冷めた。

 

気づかぬうちにキーボードに突っ伏していたようだ

 

画面には「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ….」と延々と打ち込まれていた。

 

「エビデンス」と書こうと思ったに違いない。

 

とりあえず目覚めたのは良かったが、5000字を超えるクソみたいな文章が残ってしまったし、書いてあることはすべてウソである。

 

どうしよう。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました